信仰と子育てについて

唐突だが、rieruは「子育て」が苦手である。なぜかというと子供が苦手だからだ。自分の子供が産まれるまで「子供がかわいい」という感情をもったことはほとんどない。大人のように普通の話し言葉が通じない相手子供とどうコミュニケーションをとっていいか分からなかった。でも、今現実に子育てをとりあえずできている。(一般的なイクメンではないことは確かだが、妻から一定の評価を頂いている。)それができる理由は「信仰」である。

子供ができた時考えたことは「神様から頂いた子供をどう育てていくか。苦手だけど全力でやる」ということだった。その覚悟でやってみると色々発見があった。まず我が子については「かわいい」と素直に思えた。そこには言葉が通じないとかはあまり障害にならなかった。そして、よくよく観察すると子供は子供なりの方法で意思を発信しており、それを感じ取れば言葉の問題が障害にならないことも分かった。(ただし、それを感じ取るのは大きな集中力を要する。)

しかし、それでも苦手分野であることは変わりなく、子供の発するサインを読み取るのに集中力が必要とされるので、子供の相手をすると非常に疲れる。だから全力でやっていると自分自身がオーバーフローして妻に辛く当たってしまったりして迷惑をかけてしまった。最近は自分が疲れている時などは自分は最低限のことだけやって妻に任せている。妻にとってはいきなり子供の相手をすることに限界がくる私の様子があまり理解できなかったようでそれが問題になることもあった。しかし、最近そのあたりの事情をやっと理解してもらえるようになった。

正直最近やっと我が家の子育てスタイルを確立できたわけだが、自分に「子供は神様からのもらい物で大切に育てたい」という気持ちがなかったらと思うとぞっとする。おそらく信仰なくして親になっていたら、子育てから逃げまくって家庭に大きな問題をおこしていたように思う。そして私のような人間が子供相手に「面倒くさい」という感情をいだき虐待やネグレクトをするのだろうということも想像している。

信仰のゆえに苦手の子育てを頑張ろうと思い試行錯誤し、そこに神様の助けがあってなんとか私の子育てが成立している。それが私の中での子育である。

信仰と子育てについて” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。