聖書の言葉を純粋に味わう

今晩は。rieruです。

クリスチャンに取って、この世で生きる上での様々な問題について聖書から具体的な対処方針を教えられるという事は大事である。勿論聖書の中に具体的な問題の全ての解決法が載っているわけではない。しかし、「神の前における正しいことは何か」という原則は書かれている。クリスチャンはその原則を丹念に学びそれを具体的な問題の対処に当てはめていく。これが、クリスチャンの原則的な問題に対する対処である。

この事については、rieruなりの実践をしてきた自負してきたと思っている。(ただし、これは試みたという意味であって、全てのケースにおいて聖書の教えの原則通りにできたという意味ではない。むしろ、失敗のほうが多かったぐらいである。)それは、それとして大事な事だし、それは更に実行しなくてはならない事だ。

だが、最近それよりも前になすべきことがあるように思うようになった。それは「聖書の言葉を味わうこと」である。聖書の中には、神が人のためになしてくれた事が書かれている。それはクリスチャンに取って驚くべきことだし、その深遠さや素晴らしさは言葉にできないほどのものである。クリスチャンはそれを真に味わったので信仰を持つのだが、その感動の新鮮さを保つためにはある種の努力が必要である。

日々の生活に追われていたり、具体的な問題の解決のために聖書を読むようになると、信仰のスタート地点で味わったものの感動が薄くなってしまう。それを維持するためには、なにも具体的な問題について考えることなく、ただ聖書の言葉と向き合う事が必要である。rieruには最近その時間が減っていた。もう少し純粋に聖書の言葉を味わう時間を増やしていこうかと思う。

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