全ての問題の解決はキリストの十字架にある。
今晩は。rieruです。
今日はキリストの十字架による救いは全ての問題を一瞬にして完全に解決するという事について語りたい。まずは下記の聖書の記事をお読み頂きたい。
「渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。」
ルカによる福音書 8:23-24 口語訳
https://www.bible.com/1820/luk.8.23-24.口語訳
ここでキリストは弟子達の乗った小舟が嵐に呑まれるという問題を一瞬にして完全に解決をした。これは人が何かの問題を解決する時とは大きく違う。人にも自分の力の範囲で何かを一瞬にして解決できる事はある。しかし、それはごく限られた問題に限定される。問題が大きくなればそれを即座に解決するという事はできない。嵐という自然の力による問題は明らかに人の力を超えており、人には即座に解決できないし、完全に解決する事もできない。しかし、キリストにはそれをする力があった。
この時、キリストが嵐の問題を即座に完全に解決したという事は現代に生きる私達には直接関係ない。しかし、キリストが自らの十字架の死によって私達に与えようとしている救いについては関係がある。この救いは私達の全ての問題を即座に解決する力がある。この時の弟子達から嵐という問題が即座にかつ完全に解決したように、キリストの十字架による救いは私達の問題の解決を与える。
このように書くと難病が即座に治るとか、金銭問題が即座になくなるとかいう事を想像されるかもしれないが、そうではない。キリストの十字架による救いを得たとして物理的に病気が治るとかお金が振ってくるという事はない。表向きは何も変わらないように見える。しかし、救われたもの心の中では問題の性質が大きく変わる。なぜならこの世の問題はこの世を生きている間しか人を拘束しないからだ。キリストの十字架による救いは人に永遠のいのちを与える。このいのちは死後永遠に神の元で痛み苦しみの全くない喜びだけの生活を約束する。
その永遠のいのちがあるならばたかだか100年足らずのこの世における問題は小さな問題である。そういう思考を持てるようになる事が、キリストの十字架による救いが全ての問題を即座に解決するという意味である。正直に告白すれば私はあまり上等なクリスチャンではないので、目の前の問題に心を奪われてしばしば、この思考ができなくなって苦しくなる。しかし、いつでも永遠の視点に立ち返って楽になれる事は本当にありがたい。
ブログ村のランキングに参加参加しました。本記事を評価頂けるようであれば、本ブログを応援する意味も込めて下記のバナーをクリックして頂けると幸いです。
にほんブログ村
本ブログはコメント欄を設けておりません。コメントがある場合は、お手数ですが下記のツイートのリプでお願いします。