クリスチャンに取って致命的に大事な事。

今晩はrieruです。

クリスチャンに取って下記のキリストの言葉は重い。この言葉は直接には当時の弟子達に語られた言葉だが、キリストが自らがこの世を去ってから弟子がどのように生きるべきかを語ったところであり、それはキリストの死後キリストを信じて救われたクリスチャンにも当てはまる。

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭15:4-6‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jhn.15.4-6.口語訳

この言葉を素直に読むと、「クリスチャンになっても実を結ばなければ永遠のいのちを失うのでは?」という疑問がわく。しかし、rieruはそうは考えない。聖書の罰の箇所には下記のようにある。

「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8:1-2‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.8.1-2.口語訳

これはクリスチャンが救われた後に罪を犯す事があっても絶対に救いを失う事はないと宣言している所であり、「実を結ばなければ裁かれる」という理解はできない。

では最初の引用箇所はどう理解すべきか。それは上記の引用のうち、下記の部分にヒントがある。

「人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。」

ここて「それ」とはキリストにつながらず実を結ばないクリスチャンの事である。それは「人々」が焼いてしまうと書かれている。永遠のいのちに関連して裁きを行うのは「神」であって人ではない。人ができるのはこの世の事でである。人は肉体を滅ぼして死にいたらしめるという事以上のことはできない。しかし、永遠のいのち関連する裁きは人の死後における魂の行く末の話である。これを前提にすると、上記の引用箇所は「人々による裁き」は永遠の刑罰の話ではなく、あくまでもこの世における不利益の話をしていると理解すべきである。

永遠のいのちに関係ないという意味では、安心できるところもあるが、この世に置いて人の他に渡り捨てられるという事実もなかなか重い。この世は悪魔の支配下にあるので、クリスチャンは常に悪魔の攻撃対象である。悪魔はクリスチャンが伝道して人が神の元へ帰る事をトコトン嫌う。だからクリスチャンの信仰生活を破壊して証の力を弱めようとする。その悪魔の力から守られるためにはキリストにつながっている事が必要である。それがないと、結局悪魔の力によって信仰生活は破壊され、最後には肉体を滅ぼされることすらある。それが「人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。」と書かれている事の実態である。これはクリスチャンに取って本当に辛い事だ。

日々生活していると、キリストから引き離そうとする悪魔の力を感じる。これはクリスチャンが誰しも感じるところだろう。そこから守られるためには日々聖書を通してキリストと交わり、キリストという木に繋がる事で、枝が木から養分を得るように、キリストからクリスチャンとして生きていくために必要な力を与えてもらうことがクリスチャンに取って致命的に重要な事である。

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