神の意思に心を留める事の大切さ。

今晩は。rieruです。

ルカの福音書には下記のように、キリストの母マリアがキリストの誕生に際して神から示された色々な事柄について「心に留めて、思いめぐらしていた」ことが記されている。

「しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭2:19‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/luk.2.19.口語訳

この事はクリスチャンにとってすごく大切な事を教えている。それは「神の意思が何なのか」について興味を持ち、それに心を留める事である。時に人はクリスチャンであっても個人的に事情が理由で事実を曲解し、何かを「神の意思だ」と断定しがちである。しかし、それはクリスチャンのなすべき事ではない。

一般の社会の中にあっても、実はこの事は変わらない。勿論クリスチャン以外の人が「神の意思」について何かを判断するという事はないのだが、「事実を自分の都合の良いように解釈して何かをゴリ押しする」という事は時折起こる。それについては面と向かって叱責されないとしても、周りは否定的な反応を示す事が多い。

仮にクリスチャンが社会に置いてそのような曲解やゴリ押しを嫌うので有れば、信仰の話に置いて自らの事情で神の意思を勝手に推定して何かをごり押しするという事は厳に慎むべきである。時にそれは周りの人との関係上咎められないとしても神の前に重い責任がある。その責任はクリスチャンがもっとも重く受け止めるべき事である。

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