クリスチャンとして考える環境問題。

今日は。rieruです。

最近、とあるキッカケで環境問題についてクリスチャンとしてどう考えるべきかという事に思いを巡らせていた。聖書によれば、いわゆる「自然」と呼ばれるものは神の所有物であって人に与えられたものである。それをむやみに使って壊すような事は慎むべきである。

であるならば、クリスチャンは環境保護のため何かの運動に熱心になるべきか。一方で聖書は下記のように教えており、この世の権威も神によって立てられたものなのでその決定を尊重するという事が求められる。それゆえ環境を保護を訴えて政府と対決するなどの行為は相応しいものとはいえない。

「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭13‬:‭1‬ 口語訳‬
https://bible.com/bible/1820/rom.13.1.口語訳

では、個人としてはどうなのか。できる限りエコな生活を志すという「自然が神の所有物である」という観点からは大事な事であろう。問題はそれを何処までするのかという点である。正直に告白すれば私自身はそれを徹底的に追求する生活は送っていない。それは積極的に肯定されるべきではないとは思うが、例えば電気を全て捨て去る生活というのは日本では生活に支障が出すぎて現実的ではない。

個人的にはできる範囲の事はして神に赦しを願うというのが精一杯である。ただ、今回色々考えてみて、自分でできる範囲の事を少しずつでも増やして行こうと思っている。

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