人には神の前に誇るべき力はない。

おはようございます。rieruです。

マタイによる福音書に下記のように記されている。これは人の力の限界を教えている。

「また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭5‬:‭36‬ 口語訳‬
https://bible.com/bible/1820/mat.5.36.口語訳

確かにこの事は事実である。現代では毛染めという技術があるので一時髪の色を変えられるがそれは一時的なものであって一月もすれば下から違う色の髪が生えてくる。その意味では今だにこの言葉は真実である。

最近この言葉を読んで自らの力は神の前にちっぽけなものである事を思い知らされた。私は福音を語る時に「人は神の目から見たら皆罪人であり、大差はない」という事は常に考えてきたが、よく考えると人間の長所についても同様である事をこの事を通して教えられた。

例えば、毛染めという技術を初めて開発した人はこの世の中では天才的な頭脳を持った人だったはずだ。ただそれは神の目からは「髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない」という評価なのである。人のレベルで優れているとしても神の目からは五十歩百歩なのである。

自分の事を省みるとはずがしながら、自分が得意な事について他人に対して「なんでこんな事もできないんだ」と感じる事がシバシバある。しかし、それは神の目から見たら「五十歩百歩」である。それなのに自らの何かを誇るという事は神の前に恥ずかしい事である。

今回、神の前に自らの能力に誇るところは何もないという事について痛感させられた。これを日常の生活において意識して行動したいものである。

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