一人のクリスチャンの最期に際して思うこと。

今晩は。rieruです。

私の義理の弟が天に召された。彼は40年弱と平均寿命からすれば大幅に短くこの世の人生を終えた。数年前彼が余命宣告をされた時、私は彼に「色々と苦しい事もあるだろうけどこの世の仕事を終えて神の元に帰る時期が近いだろうという事については羨ましい」と伝えた。彼の反応するは「その感覚を共有できる人が居るという事実が心から嬉しい」というものだった。その時の彼の表情は安堵に満ちたものであり、決して強がりではなかった。

クリスチャンにとって死は終わりではなく、神の元への帰還である。その思いがあるので、死を前にしたクリスチャン同士は悲しみだけに支配されるわけではない。彼は間違いなく本物のクリスチャンだった。そして死に対して最後まで前向きに捉えていた。彼とのこの数年の交流では常にその事を感じる事ができた。その彼の生き様には多くの勇気をもらった。

今、彼は神の元で心から安堵している。いずれ私もそこに行く。だから今の別れは一時の別れでしかない。悲しみはあるが途方に暮れるほどのものではない。彼からは自分の子供に福音を伝えて欲しいと頼まれている。今はその託された事をどう果たして行くのかを考えている。

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