神に祈って任せる事は大事だが、為すべき正しいことをしなくて良いわけではない。
今晩は。rieruです。
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」
ピリピ人への手紙 4:6-7 口語訳
https://bible.com/bible/1820/php.4.6-7.口語訳
上記の言葉はクリスチャンが苦難のうちにある時に思い起こす聖書の言葉の一つである。苦難のうちにある時にこれを思い起こすことは大事なことだし、神に祈るというのはクリスチャンの信仰生活のベーシックな部分である。だが、その直後に下記の言葉が続くという事に留意が必要である。
「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。」
ピリピ人への手紙 4:8-9 口語訳
https://bible.com/bible/1820/php.4.8-9.口語訳
最初に引用した箇所だけ読んでいると、問題が起きたら神に祈ってその後は神に任せるという発想になりがちである。しかし、それは人間が自分の力でどうにもならない部分の話であり、自分でできることをおろそかにして良いという話ではない。抱えている問題に対して為すべきことがなるなら、それを為すことがクリスチャンの責任である。何か問題があって自分ができることが全くないということはあまりない。できることは非常に限られるとしても探せば為すべき正しいことがある。だが、神に祈って後は神のご加護を待つだけという姿勢ではなすべき正しいことを探すことすらしない。それはクリスチャンとして正しい態度ではない。
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