為すべき証言を差し控えてはならない。

今晩は。rieruです

旧約聖書の律法には下記のように記されている。

「もし人が証人に立ち、誓いの声を聞きながら、その見たこと、知っていることを言わないで、罪を犯すならば、彼はそのとがを負わなければならない。」
‭‭レビ記‬ ‭5:1‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/lev.5.1.口語訳

これは旧約聖書の教えなので直接今のクリスチャンに当てはめる事は出来ない。しかし、為すべき証言を控えてはならないという原則は今のクリスチャンにも当てはまる。福音伝道とは証言をする事だ。自分が出会ったイエス・キリストについて、クリスチャンでない人に証言をする事が福音伝道である。どのようにいつやるかという話は個別具体の事例に合わせて考えなくてはいけないが、福音伝道という証言を全くしないというのは、クリスチャンにとって大きな問題だ。神様の導きをがある時にはクリスチャンは福音を臆する事なく語る責任がある。

神から教えられたクリスチャンとして為すべき事を他のクリスチャンに伝える事も証言だ。神はクリスチャンに聖書を通して語りかけられる。今の時代に何が必要なのか、今の自分に何が必要なのか。テーマは様々だが。クリスチャンは神から教えられるという経験を常にしている。

その教えられた事を他のクリスチャンに対して証言して伝える事もクリスチャンの責務だ。その中には他のクリスチャンにとって耳の痛い話もある。仲が良い相手だからという理由でそれを差し控えたくもなる。しかし、それはやってはいけない事だ。親しかろうと親しくなかろうと、クリスチャンとして為すべき事は変わらない。その事が神から教えられた時、その証言を差し控えてはならない。モチロンその時に相手の事を思いやって行う事は当然だが、証言を差し控えてはいけない。

クリスチャンはこの世にあって証人として重い責任を負っている。