聖書が語る死後の世界

今日は。rieruです。

今日からお盆休みの方も多いと思われる。お盆は人にとって死者を意識する時である。最近はその習慣自体が薄くなってきてはいるが、死んだ先祖が帰って来る日としてお盆は認識されている。ただ、一方でどこまでこの事が事実であると考えているかというと分からない。死後の世界の事は明確には分からないが、否定もできないからとりあえず昔からの言い伝えではそうなっていると認識している。それが今の多くの日本人に実体ではないだろうか。

しかし、聖書は死後の世界についてハッキリと断言している。例えば、下記の箇所では、からだ即ち肉体が滅びても(死んでも)魂が生きていれば良く、本当に恐るべきは魂の死であると教えている。

「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭10:28‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/mat.10.28.口語訳

魂の死について、以下に具体的に書かれている。少しややこしい書き方をしているが、まず前提として火の池に投げ込まれる事が魂の死である。先程紹介した言葉では地獄である。そして、人が火の池に投げ込まれる前に死が火の池に投げ込まれると書かれている。これは終わりがなくなるという意味だ。つまり、火の池で苦しむが、それによって魂がなくなるつまり死ぬ事がなくなり、その苦しみが永遠に続くという意味である。

「それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」
‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭20:14-15‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rev.20.14-15.口語訳

しかし、そこに行かない魂もある。そこに行かない魂の行き先は下記の都である。そこは神のおられる所で、全ての苦しみから解き放たれる所である。

「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。」
‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭21:2-4‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rev.21.2-4.口語訳

この魂の行き先を決めるものが下記の箇所に記されている。ここでいう滅びとは魂が火の池に投げ込まれる事で、永遠の命とは魂が神のもとで苦しみから解き放たられる事である。そして、永遠の命を得るために御子すなわちイエス・キリストを信じる事である。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭3:16‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jhn.3.16.口語訳

クリスチャンは先に死んだクリスチャンが神の元で慰めを受けていると確信している。そしていつか自分もそこに行く事も確信している。だからこの地上のからだが滅びると分かっても絶望しないし、愛する者に先立たれても途方にくれる事もないのである。