目に見めない神の前に責められることのない良心を保つこと
こんにちは。rieruです。
今日はクリスチャンの行動原理について。パウロは新約聖書の中で以下のように述べている。
“また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。
そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。”
使徒の働き 24章15~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
もしかすると、クリスチャンじゃない人にとって、クリスチャンの行動様式は少し変に思えるかもしれない。例えば毎週日曜日、礼拝のために時間を使うというのは、クリスチャンでない人にとっては苦痛でしかないと感じることもあるようだ。あるいは、酒に酔ってはいけないという聖書の教えに従い、酒を避けるという行動をとると、最初のうちはすごく不思議がられたりする。
そうした、クリスチャンでない人にとって異様な行動をとる裏には、このパウロの言っていることがあると考えていただきたいと思う。
クリスチャンは死んで終わりだと思っていない。正しくない者も正しい者もいずれ復活をする。そして神の前に出て神の裁き(ジャッジメント)を受けるという確信がある。だからその時に恥じることのない良心を保つようにと考えて、最善を尽くしている。
目に見えない神に対して、クリスチャンは良心に恥じない行動をとっているので、その神の存在を前提としないで物事を考えると、ある意味それは不思議なことに思えるかもしれない。
クリスチャンがその目に見えない神に対して忠誠を誓い、またその神の基準で物事を判断しているということを知っていただけたら嬉しいと思う。
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