ただで与える事が当然。
今晩は。rieruです。
今日はまず、下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。
「ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。」
マタイによる福音書 10:8 口語訳
https://www.bible.com/1820/mat.10.8.口語訳
これはキリストが弟子を福音伝道のために遣わした時の言葉だが、これは現代のクリスチャンが福音伝道をする際にも当てはまる真理を教えている。クリスチャンは福音とそれに基づく永遠のいのちをただで受けた者である。そのクリスチャンが他人にその福音を伝える時に報酬を求めない事は当然のことである。
しかし、それはクリスチャンと神との関係に置いてはそれは当てはまらない。神は福音伝道に忠実であったクリスチャンに報いを下さる。例えば、第二コリント人への手紙ではクリスチャンの行った善に報いがあると記させれている。クリスチャンの行う善の中には福音伝道も含まれる。つまり、冒頭の「ただで与える」はクリスチャンとクリスチャンが福音を伝える相手の間で成立することであって神とクリスチャンの間ではそうではない。神はクリスチャンの福音伝道に報いを与える。
クリスチャンが福音を伝える事は当然の事であって神から報酬を貰えるようなものではない。基本的にクリスチャンは自分の罪を恥じ、永遠のさばきから救ってもらっただけでも感謝するものである。救われたという事実に対して福音を伝道したぐらいでは全く釣り合わない。それぐらい神からもらった救いというものは価値がある。クリスチャンなんの恩返しにもなっていない福音伝道によって更に報いを与えるという神の慈悲深さにただただ感謝する以外にない。
だから、福音伝道に置いて伝道する相手から報酬を貰うなどという事は実行するどころかそういう思いを持つだけでもあってはならない。クリスチャンにとって福音伝道はそういう性質のものである。
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ブログはじめました。ご愛顧ください— rieru (@Kyr20102Kyr2010) June 19, 2017