死への恐怖と向き合う事。

今晩は。rieruです。

先日、娘が緊急地震速報に強い不安感を示すという出来事があった。それを見ながら自分が子供の頃、死に対する恐怖感が凄く強かった事を思い出した。近くの家で火事が起きた時本当に怖かった。おそらく平均的な子供よりもrieiuは死という概念に強い恐怖を覚えていたと思う。

しかし、それは悪い事ばかりではなかった。その恐怖はは自分の人生の土台としての信仰につながるものだったからだ。死を近くに感じる時聖書の言葉は強く心に響く。真剣に聖書と向き合うので自分を愛して自分のために死んでくれたキリストの存在を心で感じ取る事ができる。それが信仰に繋がった。そして、その信仰は永遠のいのちを保証するものなのでrieiuを死への恐怖から解放してくれた。

クリスチャンの妻に聞いても同じような幼少期を過ごしたようだ。だから緊急地震速報に怯える娘に死の問題の解決するために聖書を通してキリストと向き合うように勧めている。

人は皆いつか死を迎える。その事は皆知っているが死への向き合い方は人それぞれだ。ある意味で死を「考えても仕方ない」と割り切った方が楽に生きられる事も事実である。しかし、rieiu的には本気で向き合った方が良いと思っている。なぜならそこに本当の安心があるから。コロナ騒動で死という問題が普段より強く意識される環境にある今、死への恐怖があるならば聖書を通じてキリストと向き合って永遠の安心を手にしもらいたいと思う。

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