パウロの改心を通して聖書が教えている事。
おはようございます。rieruです。
聖書の中で使徒パウロの改心に関する記事は特別な存在である。この出来事は使徒の働き9章、22章、26章の三箇所に出てくる。最初の9章が改心が起こった時のことそのものが書いてある。残りの二つの記事はパウロが自分の生涯を回顧する形で言及されている。聖書の中で同じ内容が繰り返し書いてある事は少ない。特に3回も同じ出来事が同じ書簡の中で書かれる事はかなりレアケースである。少なくともreieruの記憶の中ではこれ以外に同様の例を知らない。この事実は聖書がパウロの改心という一つの出来事に大きな意味を持っていると伝えているようにreieruには思える。
考えてみるとパウロの改心は非常に特殊な出来事だ。パウロは改心の前にクリスチャンを迫害し、クリスチャンを殺害する人だった。その人がキリストと出会ってクリスチャンになり、キリストの伝道者として教会の歴史の中で極めて大きな役割を果たしたのである。それは奇跡と断言しても差し支えない人生の転換だった。
ここには色んな意味がある。まず、キリストを信じる信仰による罪の許しは人の常識を超えて広い事を示している。パウロは聖書の記の記事で自分が迫害者であった事示して自分の事を「罪人のかしら」と言い、その自分がキリストを信じる信仰によって救われたと語っている。
「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。 その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。 しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。」
テモテへの第一の手紙 1:13-16 口語訳
https://www.bible.com/1820/1ti.1.13-16.口語訳
クリスチャンを迫害するようなものさえも許され永遠のいのちを受ける。それほどにキリストを信じる信仰による罪の許しの範囲は広い。
もう一つはキリストを信じた者には変化があるという事である。パウロはクリスチャンを迫害する者からキリストを宣べ伝える者になった。その事はクリスチャンになった者に起こる変化を象徴的に教えている。パウロ程ではないにせよ、キリストを信じる者は「キリストを主とする」という変化が起こり、キリストのために生きるようになる。その変化の幅には違いはあるが、その変化は確実に存在する。パウロが正反対の立場に転向した事はその象徴である。
また、正反対の立場に転向したという事はキリストとの出会いに力があったということを示す。この力は今も変わらない。クリスチャンになるとそこに変化がある。その変化の源泉はキリストとの出会いである。
このようにパウロの改心という出来事に大きな意味があり、その事から教えられる事は多い。だからこの改心の出来事は聖書の中で短いスパンで3回も登場する。少なくともreieruはそう受け止めている。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) June 21, 2020