キリストは生けるパンである。
今晩は。rieruです。
今日はキリストは「生けるパン」であるという事について書きたい。
「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。」
ヨハネによる福音書 6:51 口語訳
https://www.bible.com/1820/jhn.6.51.口語訳
上記のようにキリストは自身のことを「パン」であり、それを食べる者はいつまでも生きると語っている。人の事を食べ物に例えて、「それを食べる」というのは例えとしては少し大げさに聞こえる。誰か他人を「食する」という表現は少しグロテスクな感もある。しかし、クリスチャンにとってはあまり違和感のない表現である。
食べ物は命に必要なものである。キリストも永遠の命のために必要なので、そのキリストの例えとして食べ物が出てくるのはあまり違和感を感じない。食べるという行為も人を食すると思うとキリストを信じるという事だと思うと納得できる。キリストを信じるというのは心を開けてキリストを受け入れるという事だが、これは感覚として食べ物食べて味わうという行為と似ている。
料理の写真をみて美味しいと感じる事と実際に食べて味わう事には大きな差がある。美味しい料理をいくら写真で見てもそれを食べた時に五感で感じる美味しさは別物である。キリストを信じる事は知識としてキリストを知る事ではない。他人の経験談を聞くことでもない。自らがキリストの愛を実感して受け入れる事である。それは食べ物を実際に食べて味わう事と料理の写真をみて美味しそうと感じることの違いに近い。
キリストを食べるというと何かグロテスクなもののように感じるが、キリストの愛を実感してそれを受け入れるというを信仰の本質を
極めて良く表した表現である。食べる事は「自分」しかできないように、信じる事も他人はできない。他人が美味しいものを食べた話を聞いて「美味しそう」と思っても食べた事にはならない。同じように他人の信仰について聞いて「素晴らしい」と感じても救われるわけではない。自らから聖書を通してキリストについて知り、そこでキリストの愛を感じて受け入れるという事にリアルな感覚がなくては信じたとは言わない。
そう考えるとキリスト生けるパンであるという例えは極めて重要な事を教えていると言える。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) June 21, 2020