信仰はキリストを自分の命綱とする事。
今晩は。rieruです。
今日はキリストを信じる信仰は「キリストを命綱にすることだ」という事について語りたい。ますば下記の聖書の記事をお読み頂きたい。
「みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くした。」
使徒行伝 27:38 口語訳
https://www.bible.com/1820/act.27.38.口語訳
これはパウロが乗っていたローマへの護送船が難破した時の出来事である。パウロは旅の前からこの航海が危険であると警告していた。しかし、同船していた人たちはそれを信用せず航海に出た。(船の専門家でないパウロの警告を聞がない方が当然ではあるが)その結果船は難波してしまった。その中でパウロが「この航海は守られる。誰も失われることはない。それが神の意思である」と宣言した。するとだんだん人々はパウロの言うことな耳を傾けるようになった。そして、パウロの「必ず助かるからその時まで生きるために食べ物を食べるように」というアドバイスを受け入れたのち残りの食べ物を捨てて船を軽くするという選択をした。
これは同船した人々の「パウロの言葉を信頼する」という決意表明である。パウロの言葉が実現すると信頼したからもう食べ物に頼る必要がないという結論に至った。この食べ物は命綱としてギリギリまで彼等が残して置いたものだ。この航海がいつまで続くか分からないから彼等はできるだけ食べ物を残していた。それを彼等はここで腹一杯食べてそれを捨てて船を軽くするために捨てた。彼等にパウロの言葉への信頼がなければ食べるにしても最小限にして食べ物を残していたはずた。そうしなかったのは彼等の命綱が食べ物からパウロの言葉に変わったからである。
この変化は人が救われる時、クリスチャンになる時に起こる変化と似ている。救われる前のクリスチャンが命綱として頼るのは食べ物(現代では食べ物を得るためのお金)だが、それがキリストに変わる。自分のために十字架で命をすてたキリストを信じることが、永遠のに生きることの保証となり、命綱になる。
パウロと同船した人達が食べ物からパウロの言葉に変わったように、キリストを信じて自分の命綱を食べ物からキリストに変えた時、人は救われるのである。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) June 25, 2020