預言を聖書の正統性の根拠にすべきではない。

今晩は。rieruです。

今日は聖書の預言について。まず、rieruは預言についてクリスチャン以外の人に向かって聖書の正統性を主張する材料に使うべきではないと考えている。なぜなら選手の預言は信仰のない人にとってはこじつけに見えるようなものが含まれるからだ。その1番分かりやすい例が下記の預言である。この預言は読んだだけでは理解する事が難しいが、後で解説をするのでとりあえず下記の預言をお読み頂きたい。

「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。」
‭‭ダニエル書‬ ‭9:25-27‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/dan.9.25-27.口語訳

これは旧約聖書のダニエル書という所に書かれているイスラエルの国に関する預言であるが、これはイスラエルの国がバビロンによって滅ぼされ(いわゆるバビロン捕囚)国を失っていた時代の事である。ここではバビロン捕囚からキリスト(すなわちメシヤ)の十字架までの期間を預言しいる。ここで1週は1日を1年として数え、バビロン捕囚後エルサレムを再建せよという命令がでてから69週(1日を1年と数えて483年)後にキリストが十字架にかかるという預言である。

この預言については色々な研究がなされていてどうもかなり正確に69週の預言は実現したらしい。(個人的に聖書の時代の年代の特定も難しいのであまり深く突っ込んだ事はない。)しかし、この預言は70週で一つであり、最後の一週は黙示録で語られている世界の終末に置いて神の裁きとしての7年の患難の時をを預言している。もちろん十字架の後すぐにそんな事は実現しなかった。そういう意味ではこの預言は外れたかに見える。

しかし、聖書は下記のようにも語っている。

「御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。」
‭‭エペソ人への手紙‬ ‭1:9-10‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/eph.1.9-10.口語訳

ここで奥義と語られている事に注目していただきたい。ここで奥義とは「神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされた」事である。これは分かりやすくいうと教会の事である。キリストの到来まで教会という概念はなかったが、それは旧約聖書のダニエルの時代には神に隠されていた奥義だったからである。しかし、ダニエルの時代から神の中ではキリストに仕える「キリストの花嫁」としての教会の誕生が計画されていた。その教会がキリストに仕える時代がキリストの十字架とこの世の週末の間に隠されていた。だからダニエルの70週の預言は69週と最後の1週にタイムラグがあるのである。

しかし、これは人の目から見たら完全に後付けだ。預言が成就しなかったからクリスチャンが後付けで考え出した理屈に過ぎないと言われても反論できない。rieiu的には預言の理解を聖書に従ってするだけなので新訳聖書の説明で納得するわけだが、それは聖書が正しいと認めるクリスチャンだから納得できる話で、クリスチャン以外の人は理解できない。その現実を見るときクリスチャンは預言に対して謙虚であるべきである。

クリスチャンは聖書の言葉の持つ力を体感して、キリストを受け入れて救われたので聖書の言葉を事実として受け入れる。しかし、それは信仰の結果であって原因ではない。聖書の語る預言が全て成就したから聖書が正しいわけではなく、聖書を神の言葉として認めるから預言の成就も確信できるのである。その順番を違えて預言の成就が聖書の正統性の根拠であるかのようにクリスチャン以外の売り込む行為は慎むべきとrieruは考えている。

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