自分の中にある罪と闘う方法。

おはようございます。rieruです。

今日はいかにしてクリスチャンが神に喜ばれる人生を送るかという事について書きたいと思う。人がキリストを信じて救われたとしても人が生まれながらに持っている罪の性質は変わらない。故に下記にパウロが告白しているようにクリスチャンになっても罪を犯す。

「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭7:15‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.7.15.口語訳

だからと言って罪の問題をそのままにして置いて良いわけではないない。パウロは上記の言葉を書いた次の章でクリスチャンが罪のない生活を送るために必要な事をいくつか書いている。まず紹介したいのは次の言葉である。

「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8:18, 23-25‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.8.18,23-25.口語訳

一つ目はクリスチャンの希望である。ここでパウロが語っている事はやがてクリスチャンは「やがてからだがあがなわれる」という希望があると語っている。これはクリスチャンが死後新しい体を与えられ、神の元に行く事である。この時クリスチャンは全ての悩み、苦しみから解放される。それはクリスチャンの希望であり、その希望の故に苦しみに耐える事ができるとパウロは語っている。人間苦しみが永続すると思うと耐えられない。しかし、いつか確実に終わると思うと耐えられる範囲も広がる。罪との闘いも所詮はこの世の中における一時の事だと思えば随分と闘い方は変わる。

次の秘訣は聖霊の言葉に耳を傾け祈る事である。パウロは下記のように語っている。

「御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8:26‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.8.26.口語訳

ここでクリスチャンの心の中にいる聖霊(ここの表現では御霊)がうめきによってとりなしてくれていると語っている。これはクリスチャンとして理解する所だが、聖霊が心に働きかけてくれる事を感じることは日常的にある。特に悪い考えが心に浮かんだ時にそれを感じる。問題はそれに素直に従う事ができないというのが問題だが、ここではそのうめきは祈るべき事を教えていると記されている。罪と闘うにあたって必要な事は聖霊のうめきを感じた時に神の方を向いて祈る事なのではないだろうか。これはrieru自身が今回初めてここを読んでいて教えられた事なのでこれから実践してみたいと思う。

次は神の助けである。パウロはクリスチャンのために神が助けてくれる事を下記のように記している。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8:28‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.8.28.口語訳

神は万事を益となるようにして下さると書かれている。rieruのクリスチャン人生の中を振り返ってもこれは事実だと確信している。長くクリスチャン生活をしていると思いもよらない方法で自分の弱点とその克服方法が分かる事がある。それには神の働きを感じる。神の働きは一見すると周りからは理解できない不思議な方法でそれが示される。おそらくクリスチャンは皆そういう経験をしている筈だ。クリスチャンはその神の助けを見逃さずに次の罪の闘いに活かす事で変わる事ができる。

更にパウロはこれらのものの根底にキリストの愛があると語る。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 「わたしたちはあなたのために終日、 死に定められており、 ほふられる羊のように見られている」 と書いてあるとおりである。 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8:35-37‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.8.35-37.口語訳

この部分は上記の三つの罪との闘いの秘訣そのものというより、ローマ人への手紙の1-8章のまとめの部分なので直接罪との闘いのことについては書かれてはいないが、キリストの愛は全ての信仰生活の土台である。キリストに愛された者としてキリストに喜ばれる歩みをしたいというのは信仰生活の初めであり、それなしに罪との闘いは始まらない。キリストによって愛された事は罪との闘いの動機であり、それをなしに具体的な助けの話をしても意味がない。それはクリスチャンが「何故罪と闘うか」という命題の答えであり、そこを常に心に留めおく事はクリスチャンの原動力である。

rieruもこれを書いた事を一つの契機としてもう一度自分の信仰生活を見直したいと思う。

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