ヨセフの「死」とキリストの死
今晩は。rieruです。
今日は旧約聖書の創世記に出てくるヨセフという人物の歩みとキリストの類似点について。まずは下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。
「族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、」
使徒行伝 7:9 口語訳
https://www.bible.com/1820/act.7.9.口語訳
これは新約聖書の中でステパノという人がヨセフの人生について語った中に出てくる一節でヨセフの人生の一つのハイライトとなる場面の記述である。ヨセフは兄弟達に妬まれた結果エジプトの奴隷商人に売られてしまう。兄弟達は父であるヤコブにはヨセフは野獣に食い殺されたと報告したので、ヨセフは死んだものと見做された。しかし、ヨセフは生きていてエジプト出世して大臣になる。そして兄弟達が飢饉に見舞われた時エジプトに食料を買いに行く。そこで大臣となったヨセフから食料を恵んでもらうだけでなく一家をエジプトに呼び込んで家族を救う事になる。また、ヨセフは大臣として後の飢饉の対策として多くの蓄えをしていたので家族だけでなくエジプトの国民や周辺国の多くの人を飢餓から救った。
この物語はキリストの十字架による救いと非常に類似している。ヨセフは妬みによって売られ、死んだ者として扱われたが、キリストはユダヤ人の妬みによって実際に殺された。ヨセフの「死」はのちに兄弟の命と多くの人々の命を「救った」がキリストは死は、妬みによって自分達を殺したユダヤ人を含め全ての人の魂の救いとなった。ヨセフは「死」から蘇って大臣として君臨したが、キリストは肉体の死から神によって蘇ったことで救い主として公に証明された。
ヨセフとキリストは死というキーワードで繋がっている。彼らの死によって多くの人の救いが成立した。だが、ヨセフ「死」は肉体の命を救っただけで魂を救う事はできなかった。ヨセフの「死」の価値はキリストのそれには及ばない。人に取って最も大事な事は魂の救いである。魂の救いとは具体的に肉体の死後神の元に帰るにという事だ。その事のためには、キリストの死の意味を理解し、キリストを救い主として信じる必要がある。だから、重要度が高いのは魂を救うキリストの死である。ただし、ヨセフの物語からキリストの死の意味を考える事は有益である。ヨセフの物語は「死によって多くの人が救われる」という福音の中核的な部分の意味を具体的な例として教えてくれる。その事を知るためにヨセフの物語を読む事はクリスチャンもそうでない人にも有益である。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) December 14, 2020