クリスチャンは神の時を正しく見極める必要がある
おはようございます。rieruです。
今日は、クリスチャンは神の時を正しく見極める必要があるという事について。まずは下記の聖書の言葉をお読みいただきたい。
「四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。 ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。 彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。」
使徒行伝 7:23-25 口語訳
https://www.bible.com/1820/act.7.23-25.口語訳
これは昔、ユダヤ人の指導者だったモーセという人の経験した事について記している。(日本では「モーゼの十戒」で有名な人物のこと)モーセはユダヤ人がエジプトの国で虐げられているのを見て、ユダヤ人を救おうと決意して行動を起こした。しかし、その行動はユダヤ人たちに受け入れられなかった。ユダヤ人をエジプトの国の迫害から救う事自体は神の推奨する事だったが、この時は実現しなかった。
モーセにとっては「今ユダヤ人を救う事」が使命だと思われたが、神の時はその40年後だった。40年後神はモーセを用いてユダヤ人の救いを実現された。これは時に神の時は人の目には理解し難い場合があるという事を教えている。クリスチャンが神のために志を立てて事を起こしてもそれが神の時に行われない時はそれは実現しない。
もちろん、何か上手く行かないことを全て「神の時ではなかった」と決めつけてなすべきことをしないのは間違いである。それがうまく行かない理由はクリスチャンの側が自分の欲のために成したことだったり、正しく聖書を解釈できていないゆえに神の意志自体を理解できていなかったりすることもある。そういったほかの要因がどうしても見当たらない場合は、「神の時でなかった」と理解してその時を待つことも必要である。それが上記のモーセに起こった出来事からクリスチャンが学ぶべき教訓である。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) December 14, 2020