神の時を待つ事の大切さ
今晩は。rieruです。
クリスチャンにとって神のために何かをしたいと思いそれを実行するという事は極めて大事な事である。一方で、矛盾するようだが「神の時を待つ」という事も大事である。聖書は神の時について下記のように語っている。
「だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。」
ペテロの第一の手紙 5:6 口語訳
https://www.bible.com/1820/1pe.5.6.口語訳
これは、教会の中で若い人がその責任者に従う事について書かれている中で語られている。想定される場面は若手が組織のやり方に不満を持ち何かを変えたいと思うけど上が認めてくれないという状況である。そこで聖書は若い人に自制して神の時が来るまで待てと教えている。そして、時がくれば神はあなたをそれなりの地位に引き上げてそれを実現できるようにしてくれるというのだ。
勿論これは、教会の中で何かを変えたいと思った若手の側が真に神のためになる事を企図していて、神がそれを認めるという前提が必要である。若手に私利私欲を求める心があったり、やろうとしている事が神のためにならない場合は当てはまらない。つまり、若手が何かしたいと思って企画をしてそれをできる環境が神から与えられたら(神のときが来たら)それを実行すべきという事である。
若手が何かを変えていきたいと思う事は大事だが、それを自らの力だけでなそうとするのは間違いである。その事を神が必要だと認めるならば、神の助けがあり、環境も自ずと整えられる。環境が整えられた時が神の時であり、それを待つ事が若手のなすべき事である。人は何かをしたいと思った時にはとにかくガムシャラに前に進むだけとなりがちだが、それは神の前に相応しくない。何かをしたいと思ったらその道が神によって開かれる時を待つ必要がある。自ら何かをしたいと願う事と神の時をじっと待つ事は矛盾しないのである。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) December 31, 2020