神の恵みの管理者としての責任。

今晩は。rieruです。

クリスチャンにとって下記の聖書の言葉は重い。神の恵みの良き管理者であれと下記の言葉はクリスチャンに進めている。クリスチャンは神からの様々なものを与えられている。クリスチャンはその与えられたものを適切に管理する事を神から求められており、その責任は重い。

「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」
‭‭ペテロの第一の手紙‬ ‭4:10‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1pe.4.10.口語訳

rieruは管理者としての責任を果たしているかと問われると充分にそれを果たしているか自信がない。その責任を果たしているか否かの基準は「与えられたものを持って神のためになにをなしたのか?」であるが、現実には神のためになすべき事より、自分の都合を優先させることも多い。神のよって当たえられたものを自分の欲望のために使っている事を反省するすらある。

それは時に人には隠されている事だから自分に甘えてしまいがちだがそれは全て神の前に明らかである。そして、それはクリスチャンは死後にその全てを神の評価を受ける。その事を常に心に置いていれば、そんな事はできない。だが、現実の生活では自分の中にある悪がそれを妨げる。その悪と戦うためにクリスチャンは聖書によって神の訓練を受けなくてはいけない。2020年という一つの年の終わりにもう一度自らを顧みて、来るべき新たな年に置いては神の恵みの良き管理者になりたいものである。

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