未来の事について考える時に必要な謙虚さ

今晩は。rieruです。

今日は自戒の意味を込めて人には未来の事は分からないという事について。最近コロナ騒動でこれから社会はどうなってしまうのかと色々と考える機会が多かった。勿論クリスチャンも社会の流れの中でどう振舞ったら良いかという事を考える事は大切な事であり、悪い事ではない。しかし、聖書は未来の事について人は謙虚でなくてはいけない事が記されている。

「よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭4:13-14‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jas.4.13-14.口語訳

人の未来は最終的には神の手のうちにある。人はその全てを見通す事はできない。だから未来の事を考える時には常に謙虚でなくてはならない。その上で、聖書は未来に対する態度について下記のように記している。

「むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭4:15‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jas.4.15.口語訳

これは、未来の事について計画を建てる事は大事だが、それができるかは神の意向による。最終的な決定は神に委ねるが、人はできる範囲で未来の事を考えるべきという事である。クリスチャンは未来の事を考える時に、「自分には全ては分からない。最終的には全てを神に委ねる」謙虚さが必要である。

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