神の創造物の持つ力
今晩は。rieruです。
rieruは東京の都心生まれで自然豊かな環境というものに縁のない幼少期を過ごしてきた。そして、普段から自然豊かな環境に憧れる訳でもない。どちらかと言うとデジタル製品で溢れた世の中の利便性を手放せない方の人間だ。しかし、何らかの機会に自然に触れるとそこには表現のしようのない自然の良さを感じる。今年の春にも、先輩のクリスチャンの方に連れられてとある岬に行ったが、その時も自然ならではの良さを感じた。そしてそこには、デジタル化した世の中のど真ん中にいる若い世代のカップルなども多くいた。そう言う光景を見ると、デジタル化した製品という人工物だけでは人の心は満たされないのだなとしみじみ思う。
さて、聖書はこの自然というものをどう語っているのか。
「はじめに神は天と地とを創造された。」
創世記 1:1 口語訳
https://www.bible.com/1820/gen.1.1.口語訳
これは聖書の1番最初の言葉だが、この天と地は神が創ったと語っている。そして、この言葉の後に人が「自然」と呼んでいるものは「神の」創ったものだと教えている。デジタル製品と自然はどちらも被造物であり、創り主の違いがあるに過ぎない。と語っている。
また、この神が創った被造物については聖書は下記のように語っている。
「なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」
ローマ人への手紙 1:19-20 口語訳
https://www.bible.com/1820/rom.1.19-20.口語訳
これは即ち神が創った被造物には、神の力と神性が現れているという事だ。人が自然を見る時に言いようのない素晴らしさを感じるのはそこに神の力と神性が現れているからだと聖書は教えている。
クリスチャンであるrieruはその事をそのまま受け入れる事ができる。しかし、クリスチャンでない方はいきなりこんな事を言われても何のことか分からないだろう。rieruはその事は当然の事だと思う。だが、自然の力というものを何らかの形で経験した事があるならば、聖書の語る「神の創造」という事について少しばかり考えて見て欲しいと願う。自然の中に神の力があると言う聖書の記述は本当なのだろうかと疑問を持って自然を観察して欲しい。rieruは人が真剣に自然と向き合ったら、そこに創造者なる神の存在を見ると確信している。
そして、この世の中創った方に対してどのような態度を取るのかという事は人にとって極めて重大な問題だという事も併せて考えてもらいたいと思う。
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