神の前に全ては明らかである。

今晩は。rieruです。

先日下記の記事で罪とは心の中にあると言うことを書いたが、今日はその続きで神は他人の目に見えないものを知っているという事について書きたい。

罪は人の心にある。

まずは下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。

「イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、 また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て 言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。 これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭21:1-4‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/luk.21.1-4.口語訳

この記事はキリストが多くの人の目には見えていなかった背景事情を知っていたという事を記している。この場面で出てくるニレプタとは今の金銭価値で言えば2円みたいなものだ。普通2円相当のものには価値はない。しかし、ここでキリストはこの2レプタに物凄い大きな価値があると言った。それはその2レプタが捧げた人の全財産だったからだ。例え2円相当でもそれが全部なら神の基準では物凄く価値が高い。なぜなら神の目から見て重要なのはその人の持ち物のうちどのくらいを捧げのかという事だからだ。(レプタについては下記を参照されたい。)

しかし、人の目にはそれは理解できない。なぜならその2レプタが捧げた人の財産のうちどのくらいの価値があるのかは人の目に明らかでないからだ。しかし、キリストの目には全て明らかだった。キリストは神と性質を一つにするものであるから、これは神の視点で見ると全てが明らかだということでもある。この全ての事を見通せる神の目で人をみたら汚いものもたくさん見える。それが人の罪の本質を理解するに大事な事だ。他人の目から見えない背景事情まで全て分かる神の前に立った時、人には見えない汚いものが浮かび上がるとすればそれは神の前に罪である。

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