God Bless Americaで考えた信仰の自由

2001年にアメリカで起きた同時多発テロ事件後「God Bless America」という歌がアメリカで異様に流行った。当メジャーリーグにおいて、テロの犠牲者への哀悼の意を示して中断していたシーズンを再開後この歌が試合前に歌われていたことをrieruは思い出す。この歌を直訳すると「神よアメリカを守りたまえ 」である。この「神」とは紛れもなく聖書の語る神であり、そんな歌がアメリカの「団結」の象徴として流行った。Wikipediaによればこの歌は第二国歌のような存在なのだという。


テロリズムに関する意見などは本ブログ趣旨とは違うので言及しないが、rieruが感じたのは「どんな国も文化として根差している宗教から逃れることは困難」ということだった。一応アメリカは「信仰の自由」が保証されている国である。当然、イスラム教や仏教と言った宗教の信者もいるわけだが、同時多発テロ後という戦争状態に陥った時に、「キリスト教の神」に助けを求める歌を皆で歌うのである。テレビ越しだが、この歌を歌うアメリカ人の表情は非常に高揚しており、あの中にいて「私はムスリムなので」という理由で歌わないという選択は難しいように思われた。
願いをささげる相手が「God」であるという点を除けば、その空気はまるで戦時中の日本が「天皇崇拝」を国民に強要した時とあまり変わらない。要は他者の信仰に寛容であることができない状態だったように思う。その対象が聖書の神になるのはアメリカが「キリスト教」を国教として成立した歴史があり、その影響は未だに浸透しているからだ。そう考えた時、キリスト教的背景のない日本において真の意味で、クリスチャンの「信仰の自由」は認められることは極めて困難と言わざる負えない。

もちろん、それでrieruの信仰が変わることはないのだが、一回有事が起こって混乱に陥った時、本当の意味での信仰の戦いを強いられるということは覚悟をしなければならない。そんなことを「God Bless America」を真剣に歌うアメリカ人をテレビ越しに見ながら感じた次第である。