救われた者を弁護して下さるキリスト。

今晩はrieruです。

今日はまず下記の聖書の言葉をお読み頂きたい

「主はカインに言われた。 「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」」
‭‭創世記‬ ‭4:6-7‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/gen.4.6-7.新共同訳

これは、カインという人物が弟アベルと共に神に捧げ物をしたが、そのうち弟の捧げ物だけが神に喜ばれたのを知って憤った時に神からカインに告げられた言葉である。この言葉に対して、rieruは耳が痛い。特に「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。」という部分。モチロンこれは旧約聖書の時代のカインという人に向けられた言葉であり、rieruとは直接関係はない。しかし、これは本当に痛い。何故かというとrieruのうちにも罪があり、日常的にそれがrieruに襲いかかり、時にそれに負けてしまうからだ。

罪に負けると本物に痛む。その苦痛は言い尽くし難い。主であり、キリストであるイエス様によって罪を贖われたにも関わらず罪に負けるという現実は重い。しかし、それでもrieruが頼るのはイエス様しかいない。

「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。」
‭‭ヨハネの手紙一‬ ‭2:1‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/1jn.2.1.新共同訳

イエス様は救われた者が罪を犯しても弁護して下さる。rieruはこの事に感謝して頼るしかない。具体には、その罪を祈りの中で神に告白して赦しを乞う。下記の通り、神はその罪の告白に対して赦して下さる。

「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」
‭‭ヨハネの手紙一‬ ‭1:9‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/1jn.1.9.新共同訳

この赦しはキリストの弁護による。rieruは救われてなお、罪を犯す愚かな自分を弁護して下さるキリストにただただ感謝するしかない。

なお、今日は聖書の引用を共同訳で統一したが、それは今日の引用箇所が分かりやすい書き方をしていたからである。

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