なんの為に生きるのか。
今晩は。rieruです。
突然だが、「あなたはなんの為に生きているのか?」と問われた時に何と答えるだろうか。学生のうちはお金はなくとも時間がある。みななにがしかの趣味や好きな娯楽を持っていてそのためにバイトしたり睡眠時間を削って時間を確保している。社会人になっても独身のうちは時間の余裕もあるし、お金と体力もあるので色々な事にチャレンジしやすい。不幸にしてその時点でブラック企業に入って何もできないというパターンもあるかもしれない。
例えソコソコ収入があって結婚しても子供ができると随分と景色が変わる。最近は共働きというケースは多いが、その上子育ての負担が増えると随分と自分の時間の確保は難しくなる。そこで子育てを配偶者に押し付けると今度は夫婦間の問題になる。さりとて仕事もして子育てもしてとなると余程仕事が楽しくて仕方がないという人は除いて「何のために苦労して働いているのか?」という疑問にぶち当たる。「愛する家族のために」と言えれば救われる訳だが、家事や子育ての押し付け合いになるとそれも難しいケースもある。
それな状況だったとしても今の日本の社会で結婚できる財力と時間と配偶者に恵まれる事自体が幸せだったりする。更に言えばブラックな環境だとしても生き延びられるだけマシ(生きている限り何らかのチャンスがあるかもしれない)という面もある。世界の紛争地帯や貧困世帯に生まれたら生きることすら許されないのだから。
しかしながら、「自分が相対的幸せだ」という事実によって人の心は救われない。少なくとも「なんの為に生きているか?」という問い答えて、苦しいことが大半の日常を支える事は難しい。
ところで、クリスチャンの信仰生活は決して平坦なものではないし、人から見たらする必要のない苦労をしているように見える場合もある。しかし、苦労の目的はハッキリしている。それは「自分のために命まで投げ捨てて下さったキリストのため」である。そして、キリストのためになした事には必ず報いがある。この世で報われなくとも死後の世界で報われるという希望がある。目的がよく分からない苦労よりも、目的がある苦労の方が良い。報われない苦労よりま報われる方が良い。
何らかのキッカケでこのブログを読んで、この記事に共感する所があるならば一度聖書を読んで見て欲しい。それがクリスチャンになる為のはじめの一歩だからだ。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) November 17, 2019