rieruが十字架のアクセサリーを使わない理由。
おはようございます。rieruです。
rieruはクリスチャンだが、十字架のアクセサリーとかは付けた事ない。なぜかというと、rieruにとって十字架は単なる死刑の道具であり、「十字架に置いてキリストがrieruのために死んでくださった事」が大事だからだ。十字架にかけられた人はキリスト以外にも沢山いる。そして、キリスト以外に十字架刑に処せられた多くの人は自分自身の犯した罪の前に罰せられたのである。十字架そうした単なる極悪人の死刑という意味もある。そう考えると十字架のアクセサリーを身に付ける気にはあまりならない。
キリストの死を覚えるために十字架のアクセサリーをつける人もいるかもしれない。勿論キリストの死を覚える事は大事である。しかし、それならもっと適した方法がある。それは下記の聖書の言葉である。
「わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、 感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」
コリント人への第一の手紙 11:23-26 口語訳
https://www.bible.com/1820/1co.11.23-26.口語訳
それはパンと杯である。わかりやすく言うとクリスチャンが礼拝の時に食べるパンと飲むワインである。これが聖書に示されたキリストの死を覚える方法である。クリスチャンは礼拝でパンを食べ、ワインを飲む時にキリストの死を覚える。それは厳かな儀式であり、大きな意味がある。
このパンワインこそキリストの死を覚える方法として適切である。パンとワインはキリスト以外の死刑とはなんの関係もない。そして、聖書公認の方法である。キリスト以外多くの極悪人を死刑にした道具である十字架よりも聖書公認のパンとワイン方がキリストの死を覚えるものとして相応しいと思うのはrieruだけなのだろうか。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) December 6, 2019