危機によって明らかにされる本当に頼るべきもの。
こんにちは。rieruです。
今日は危機になると「本当に頼るべきものは何か」ということが分かるということについて書きたい。まずは、下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。
‘羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。 ‘
ヨハネによる福音書 10:12-13
https://my.bible.com/bible/1820/JHN.10.12-13
現代では羊飼いなす職業が一般的ではないのでわかりにくいかもしれないが、聖書が言わんとしていることは以下の事である。平時は羊飼と雇い人は同じようなことをしている。しかし、雇人は羊を飼うことによって得られる報酬を目当てに働いていが羊飼いは羊そのもの大切にしているという違いがある。結果、おおかみという自分のいのちが危うくなる危機が訪れた時、雇人は報酬よりもいのちを優先してにげてしまうが、羊そのものが大事な羊飼いはいのちの危険を冒しても羊を守ろうとする。これが、上記の記事で聖書が言わんとすることである。
羊にとって平時は羊飼いも雇人も同じようなことをしてくれる存在だが、おおかみという危機がその本質的な違いを明らかにする。羊にとって頼るべきは危機の時に頼りにならない雇人ではなく羊飼いであることは明白だ。
さて、今世界を騒がせているコロナ渦も頼るべきものが何かを明らかにする危機では、ないだろうか。今世界は大きな危機に直面している。日常では頼れるものだったはずが崩壊しつつある。世界でも上位であったはずの日本の医療はコロナに対して支配的な力を今のところ持っていない。日本人美徳であったはずの連帯も自粛が思うように進まない現状からすれば、本当に頼りになるのか怪しいものだ。戦後の日本を支えてきたはずの優秀な官僚たちもコロナに対して有効な対策を打てていないのが現状である。
今、日常的に頼りになると思われたものが実は「危機的状況では頼りにならない雇人」だった事が少しづつ明らかになってきたと言えるのではないだろうか。では、危機においても頼りになる「羊飼い」とは誰なのか。それはキリストであると聖書は教えている。キリストの十字架による救いはたとえコロナで肉体の死を迎えようとも揺るぐことはない。キリストを信じることで得られる永遠のいのちに対して肉体の死は無力だからである。コロナによって「肉体の死」という問題が可視化され、それに対して人は本質的に無力であることが明らかになりつつある今、その問題を本質的に解決するキリストの十字架こそ、人が最も必要なものであるとrieruは考えている。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) April 25, 2020