問題が起こった時に神の成す事と人が成すべき事

今晩は。rieruです。

今日は、クリスチャンが問題に直面した時になすべき事について。聖書の中に下記のように記されている。

「(これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。)」
‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭5:23‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1ti.5.23.口語訳

これを現代に当てはめると身体の不調がある時は適切に薬を飲みなさいという事である。聖書が書かれた当時の疼痛管理はぶどう酒(ワイン)を飲む事だった。この手紙の受け手であるテモテは身体が丈夫ではなかったので、その対策をしなさいとパウロは教えている。

当たり前の話だが、クリスチャンの信仰は行き過ぎると人のできる事すらしないという怠惰に陥いる事がある。基本的に神はクリスチャンを守るので、問題の起こった時にそれに頼る事が最も大事である。神に頼る信仰なしに闇雲に具体的な対策を探し回るのはクリスチャンのなすべきことではない。病について言えば、良い医者を探す前に神に祈り助けを願う事が先である。最後は神の手による解決があると信じることなしに問題の解決法を探す事はクリスチャンにとって愚かなことである。

しかしそれと同じぐらい、神に頼る事を理由として具体的な対策をクリスチャンの側が何もしない事は愚かな事である。人のできる事は人がなす。その上で人のできない部分を神に補ってもらう。これが原則である。だからパウロはテモテにぶどう酒によって身体の痛みをコントロールするように教えたのである。今を生きるクリスチャンも病に苦しむ事はある。その時にまず考える事は神に頼る事である。そして、次に自分の力でできる事をする。それがクリスチャンの神の前に正しい態度である。

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