ホンモノは廃れない。
今晩はrieruです。
聖書を読むと、神の教えには常に違った教えによる攻撃がある事が記されている。下記などはその例である。
「俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、 彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。 彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。」
テモテへの第二の手紙 2:16-18 口語訳
https://www.bible.com/1820/2ti.2.16-18.口語訳
偽物の教えによってその教えの正当性が脅かされる事は大きな脅威である。しかし、聖書は上記の言葉に続いて下記の言葉が続いている。
「しかし、神のゆるがない土台はすえられていて」
テモテへの第二の手紙 2:19 口語訳
https://www.bible.com/1820/2ti.2.19.口語訳
これは聖書による偽物の教えに対する勝利宣言である。神の教えは偽者による攻撃に負ける事はないと聖書ははっきりと宣言している。そして、少なくともこの攻撃によって神の教えが廃れる事はなかった。なぜなら未だに聖書に書かれている教えは世界中で信じられていて、偽者の教えの方は聖書を読まない限りそれがあったかすら分からない程廃れているからだ。
歴史の中で、聖書の教えに対する迫害は時にすざまじいものだったと言われている。有名なのはローマ皇帝ネロによるキリスト教への迫害だが、神の教えはそれによって殺される事はなかった。まさに「神のゆるがない土台はすえられ」続けた。
この事実をもって聖書の正当性や真実性の証明がなされたと言うつもりはない。しかし、2000年以上も人々の心を捉えてそれを信じて人生の指針としているという事実は、「聖書は他の書と違い、本物かもしれない」と考える根拠にはなる。仮に誰の心にも届かなくなり廃れてしまった教えの書が発掘されてもそれが本物である確率は低い。基本的に本物であるならば、それは自然の摂理として廃れない。そういう意味では、様々な攻撃に晒されても揺るがなかった聖書に真剣に向き合う価値があると判断するのが妥当ではないだろうか。
仮にこれを読んでいて、少しでも聖書に興味を持たれたならば是非自分で聖書を読んで、これが本物であるかという事を考えて見てほしい。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) November 6, 2020