現状だけをベースに信仰の事を判断するのは時に危険である。

今晩は。rieruです。

rieruは最近まで印鑑というのは日本の文化だと思っていた。しかし、よくよく考えると下記の通り聖書には印鑑が度々登場する。

「そして一つの石を持ってきて、穴の口をふさいだので、王は自分の印と、大臣らの印をもって、これに封印した。これはダニエルの処置を変えることのないようにするためであった。」
‭‭ダニエル書‬ ‭6:17‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/dan.6.17.口語訳

「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。」
‭‭エペソ人への手紙‬ ‭1:13‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/eph.1.13.口語訳

そこで調べてみると印鑑というのは下記の通り古代メソポタミア文明からきており、日本の専売特許というわけではないようだ。

https://www.hankoya.com/untiku/rekisi.html

rieruは最近までそれを知らなかったので不明を恥じる事になったわけだが、これは「現状が〜だから〇〇である」という結論は危ないという事を良く教えてくれる例である。

例えば、欧米のキリスト教国の習慣がすべて聖書の教え通りかというとそうではない。欧米の男女同権という考え方を形式的にも貫くと「女が教えたり、男の上に立ってはならない」という下記の聖書の教えとは相反する事になる。(今日は触れないがこの命令は決して男尊女卑という考えではない。)

「女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。」
‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭2:12‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1ti.2.12.口語訳

欧米のキリスト教国でこうだからという現状だけで、信仰的な判断すると、実は聖書の教えに反する事もある。だからクリスチャンはいつも聖書から判断する習慣を付けなくてはいけない。この事は欧米人習慣だけでなく、自分が属している教会に置いて行われることも同様である。教会の習慣として〜だから〇〇が正しいと判断する場合、その習慣自体が聖書の教えに反していれば誤った判断になる。

人間は目の前で行われていることに流されやすい。現状から物事を判断するのは楽だし、おおよそ合っている。しかし、それが間違っていないか検証する姿勢を維持しないと大きな間違いを放置する危険が常にある。その事を認識しておく事はクリスチャンにとって大事な事である。

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