子供に信仰を強制してはならない。

rieruは夜寝る前に妻と子供と聖書を読む事を日課にしている。最近は子供が聖書を読む事の重要性を感じるのか寝る前に「聖書読まないの?」と聞いてくることがある。正直疲れていて早く寝たい時も子供のその一言で聖書を読む。疲れていても強制的に夜聖書を読む事は私の信仰生活を改善してくれるので有り難い。

しかし、一方で自分に対して「今の子供の反応は親が大切にしているものを大事だと鵜呑みにしているに過ぎない」と言い聞かせている。自分の経験から親が大事にしているものを大事だと思う事と信仰は別物だと確信しているからだ。

親の信仰に乗っかってキリスト信じますと告白しても何の意味もない。それは親の用意した模範回答を棒読みしているに過ぎない。本当の信仰は「親が大事だと言っている信仰は自分にとって本当に大事なものなのか?」という疑問からはじまる。その疑問を解消すべく自分で聖書と向き合い自分の頭で検証した結果信仰に至るのである。

少なくとも、今の状況で娘がキリストを信じると言っても私がその信仰を認めない。そうなったらまず娘に自分でどのように聖書と向き合ったのかを語らせる。その言葉の中に娘自身の信仰を見出さなければもう一度娘自身が聖書と向き合うように勧める。

娘が信仰がただ親の用意した模範回答をコピーしただけのまがいものにすぎなかったら、娘は永遠の滅びにいたる。それが心底恐ろしいからだ。親の信仰をコピーしても救われない。その事を自覚するのは信仰者として不可欠な事とrieruは考えている。