同胞の救いのために自分が滅びても良いという覚悟を示したパウロの愛

「実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭9:3‬ ‭口語訳‬‬
http://bible.com/1820/rom.9.3.口語訳

この言葉はパウロというクリスチャンが聖書の中で語っている事である。下記の通り聖書の中で呪われるという言葉はキリストの十字架における罪の裁きを意味する。

「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。」
‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭3:13‬ ‭口語訳‬‬
http://bible.com/1820/gal.3.13.口語訳

だから、冒頭のパウロの言葉は同胞の救いのためならば自分が神の罪に対する裁きを受けても良いという意味なのである。これはすごい言葉である。パウロは同胞からいのちを狙われるほど迫害を受けたのに、同胞の救いのために神の裁きを受けても良いと言ったのである。神の裁きは筆舌尽くしがたいもので永遠に火の池に投げ込まれるという厳しいものである。それを受けても良いと言うほどにパウロは同胞を愛していたのである。

rieruにとってこのパウロの愛は模範であると共に自分の弱さを示す鏡である。私にはこのレベルの愛はない。少しでもその愛に近づけるよう努力し、その愛を与えて下さいという祈りが必要であると痛感する。