クリスチャンにとって子供の審判は重い。

今晩は。rieruです。

今日家族で呼んだ聖書の箇所に下記のように書いてあった。

「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭13:35‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jhn.13.35.口語訳

そして小学生の娘に「パパとママを見てクリスチャンの愛は違うなと思ってもらえるようにしたい」(妻もクリスチャンなので。)と話をした。クリスチャンにとって家族、特に子供の審判は最も大事な判定の一つである。子供はごまかせない。子供は親の全てを知っている。夫婦の間に愛を感じて貰えなければ、上記の言葉がそのまま子供がクリスチャンや聖書を否定する道具になる。それはクリスチャンにとって大変不幸な話だが、それは全てクリスチャンの責任である。

福音の根底は愛だし、信仰生活の根本も愛である。それなのにクリスチャンの夫婦から愛を感じ取れなければ、そのクリスチャンの語る言葉に説得力がなくなる。勿論クリスチャンも救われた罪人にすぎず、互いのいさかいが全くないとは言わない。しかし、クリスチャン出ない人と何か違うと子供に思ってもらえないようではクリスチャンとして失格である。その事を肝に命じたいと改めて考えさせられた一時だった。

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