先入観は人の目を曇らせる。

おはようございます。rieruです。

今日は人は先入観を持っていると本質を理解できないという事を考えたい。まずは下記の聖書の記事をお読み頂きたい。

「彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭5:15-17‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jhn.5.15-17.口語訳

これはキリストが38年寝たきりの病人に奇跡によって癒した後のユダヤ人の反応である。彼等は安息日に癒しが行われた事を問題視してキリストを責めた。このユダヤ人達の行動については色々な問題点がある。一番分かりやすいのは安息日は仕事をしないで休む日と旧約聖書の時代に神が定めた日なのであり、キリストは仕事ではなく単なる人助けをしただけなので責められる理由はないという事だ。安息日だろうと我が子が川に溺れていれば助ける。同じようにキリストかご自身の力を使って人を助けただけなのであって何の問題もない。

そもそも、医療も全く発達していない時代にこのような奇跡的な癒しが行われた事に比べれば、安息日にそれが行われたという形式は軽い問題である。聖書はキリストが行った奇跡について下記のように証言している。

「しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭5:36‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jhn.5.36.口語訳

キリストの奇跡は神からの証言であり、それはキリストが神から遣わされた者である事の証拠であると聖書は教えている。ユダヤ人達はその奇跡を目の当たりにしたわけだから、そこから「キリストか神から遣わされた」という事を理解しなくてはならなかった。ユダヤ人達は旧約聖書に親しみ、神の事をよく知っていた。その彼等には奇跡的を通してキリストが神から遣わされた事を悟る義務があった。しかし、彼等はキリストの存在を否定したかった。そういう先入観があるから、キリストの行った奇跡の本質的な意味を理解する事が出来なかった。

先入観は人の目を曇らせる。これは広く社会全般に置いて注意しなくてはならない事だが、事に聖書の語る言葉については先入観を持たずに考えるべきだとrieruは考えている。なぜなら聖書の語る言葉は時に現代から見ると非現実世界のように感じられるからだ。しかし、それでもrieruはそこに現実があると実感している。それを理解してもらうためには先入観があっては難しい。だからまずは先入観を取り除いて聖書を読んで見て欲しい。それをすれば誰でも聖書の語る言葉の力を実感できるとrieruは確信している。

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