神の助けは絶望的な状況な時に来る。
今晩は。rieruです。
今日は少し、rieru自身の経験から学んだことを話したい。まずは下記の聖書の言葉をご覧頂きたい。
「幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。 みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。 だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。」
使徒行伝 27:20-22 口語訳
https://www.bible.com/1820/act.27.20-22.口語訳
これは使徒パウロが囚人として捉えられて(パウロ自身は無罪であり、人の陰謀による逮捕だったが)ローマに護送される途中で護送船が難破した時の記事である。状況としては絶望的な状況だ。しかし、パウロは神の助けを確信していて事実その通りになった。
これはパウロの経験であり、全てのクリスチャンの全ての問題に同じ事が起こるとは限らない。しかし、rieruの経験としては神の助けは絶望的な状況になってから現実のものとなることが多い。rieruの中で人生の最大の危機は最初の会社にも馴染めず一年足らずでやめ、その後は1年半フリーターだった時期だ。その時はお先真っ暗だったし、途方に暮れていた。
しかし、本当の意味で神に頼ると心に決め出来る事を懸命にやり続けた時今の職場に入った。その年の就職戦線は団塊の世代の退職で一時的に売り手市場だったので大した倍率もなく今の職場に第二新卒として潜り込んだ。しかし、就職して二か月後にリーマンショックが起こりとてつもない向い風が吹いた。rieruの就職先は公的団体だったので即リストラとかはなかったが、あと半年フラフラしてたら今の自分があったとは思えない。rieruはそこに神の助けを感じるのである。
就職した後も色々問題はあったが同じように絶望的な状況になってから助けがあった。rieruとして「神がrieruが自分の力でこの世で生きているわけではないと知らせるためにあえて問題を未然に防ぐのではなく、問題が起こってから助けて下さる」と理解している。これはあくまでもrieruの経験に過ぎないが多くのクリスチャンも同様の事を感じていると思っている。
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